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池上 信三

生年月日 1966年 11月10日
出身地 長野県松本市
血液型 A型
趣味 スキー
スポーツ動作分析の専門家 鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師 フィルアップ・プライマリーモーション創案者 三級海技士(機関)
著書 体育が嫌いな君たちへ(ゴルフダイジェスト社)
筋肉を高反発ゴムに変える(健康ジャーナル社)
DVD 常識破りの+50ヤード宣言(ゴルフダイジェスト社)
野球のバネトレ(リアルスタイル)

池上信三という人を知ると、

レベルアップスポーツで行われているレッスンやトレーニングが、

どんな思いで、どんな技術で行われているのかを、

知ってもらえると思う。

生誕

池上信三は1966年長野県松本市で生まれ、中学の終わりまでここにいた。
今の信三を作った最初の出来事は、この家に生まれたことだった。

船乗りから陸に上がっていくつかの会社を経営しながら「病んでいるひとを良くすること」に大きな興味を持ち続けていた父親は、とにかく一般人からかけ離れた人だった。
信三の幼少期、兄は冬のソリ遊びを引き金に半身不随になり、入院していた(半身不随の原因は、後に父親からの逃避とわかる)。
生活には波があり、「肉屋で売ってる一番高い牛肉を買ってこい」と使いに出される日々があったかと思うと、腹が減ったと訴えると「何か食いたかったら野草を取ってこい」と言われて暮らす日々もあった。
高級牛肉を食べていた頃、家中の家電はアメリカ製の大型家電で、ピアノが2台、小型バイク十数台、車が数台があり、毎夜多くの客が家を訪れていたが、野草を食べていた頃は、それがどうだったか記憶に無い。

学校では、小学校4年生までは「ガキ大将教育」ともいえる、「リーダーを決めてクラスをまとめる方式」の教育方針をとっている先生からリーダーに抜擢されており、「理解の早い子はどんどん進み、遅れのある子には先生がしっかり付いて教える」という方針にのっとり、小学4年生にして6年生の教科書を終わっていたほどだったが、5年生になって「全員均一教育」を強く推し進める担任に替わったとたん、それまで「君がいてくれるからクラスがまとまる」と言われていたのと同じ行動をすると、「お前がいるからダメなんだ」と、全員均一教育の吹き出物のように扱われ、信三は生きる意味を失い空っぽになった。

ある夜、刑事コロンボと同じトレンチコートを纏った刑事が信三を訪ねてきた。
「昨日、息子さんはどこにいましたか?」質問はそれだけだった。
翌朝登校すると、友人たちが集まって話しているのを聞いて驚いた。
「担任の先生、放火されたらしいよ」 担任に疑われたということが、胸に錆びた剣をねじ込まれているような痛みとして残ることになった。

それから中学2年生までは何を目標にするでも無く、なんとなく日々を過ごしていた。
まだ分別の付かない年齢の信三は悪く傾くこともあったが、毎日学校に通い、成績は中くらい、普通に過ごし、友達もいた。
その間、父親は名古屋の学校に通っていたこともあり在宅することは少なかったが、なぜか、「だからお前はダメなんだ」だと言われた記憶が残っていて、その言葉のダメージが奥深いことが後で分かることになる。


学び

「おい!信三!」
「はい!」
中二の冬、信三は父親に呼ばれた。

コンコン。
「大人の部屋(両親の部屋をそう呼んでいた)」をノックする。
入室許可の声がすると、正座して父親の話を聞いた。
「お前、ヨット乗りたいか?」
「ヨットって、あの、バナナの上に三角の・・・帆?」
ここは、どの方向の海に向かうにも遠い、陸の中心にある長野県松本市だ。
海は生まれてから数度しか見たことがない。
「見てみろ!」
父親が指さしたテレビは、少年が罵声を浴びせられてヨットに乗っている映像で、戸塚ヨットスクールの特集だった。
「ちょっと厳しいぞ!」
厳しいかどうかは信三にとってどうでも良かった。
この家と違う場所に行けるなら、どんなところでも行ってみたいと思った。
「行きます!いつからですか?」
「明日、イトーヨーカドー行って、必要なものを買ってこい」
「分かりました」。
心は明るかった。

信三は不良でも登校拒否でも無かったが、精気を失った子供を見つめる父親からすれば、信三は情緒障害児そのものだと映っていたのだろう。
戸塚ヨットスクールに到着した信三は、情緒障害児たちと同じ暮らしをする特別合宿に入っていた。
もちろん訓練は、多くの人が知っているとおりの内容で、ボコッとやられながら訓練する日を送ったが、たいしたことはなかった。
ここで信三は人生最大の「学び」を得た。
いきなりヨットに乗らされて、 「お前のヨットは何で進まんのじゃ?」と戸塚校長に怒鳴られる。
「教わってもいないんだから当たり前だ」と思いながらプカプカしていると、 怖い顔をした校長が近づいてきて、 「お前のヨットはどっち向いとるんじゃ?」と、バケツに汲んだ海水をバシャッとかけて去って行く。
言われたとおり船の向きを他の人に合わせていると、また校長が近づいてきて、「お前のセールはどうなってるんだ。周りを見ろ」と、また怒鳴る。
そしてまた、 「お前の船はどっちに傾いているんだ!」と怒鳴って、 海水をぶっかけ、質問ばかり繰り返される。

数日後、ふと気づいたことがあった。
「そっか、真似しろってことか!」 それから一番速い人を真似し続けた。
たまにしかヨットに乗らない校長は、人より遠回りのラインを通るけれど、めっぽうスピードがあったから、結局近回りをした人よりも速かったから、それを試したこともあった。
少しずつ信三のヨットはスピードを増し、ひと月が過ぎた頃に行われた、 戸塚ヨットスクールだけで使っているYAMAHA製「かざぐるま級」の選手権大会で4位になった。
小さな大会ではあるが、その日を境にして、一回り大きなヨットにも乗船を許可されたりもしたが、信三だけ5kgのウエイトをロープでくくりつけて、全てのトレーニングをその状態でするようにも宣告された。

45日ほどで最初の合宿を卒業し、その後1週間ずつの合宿に数度参加後、戸塚宏校長は拘束された。


自分

中学を卒業すると、親元を離れて全寮制の男子校、鳥羽商船高等専門学校に進んだ。

ヨット部に入り17歳の時には三重県代表で国民体育大会で少年の部4位になったが、青年の部に出場していた、日本のトップが集まるの本田技研鈴鹿ヨット部の人に、 「4位なんか意味がない、表彰式にでるなど恥ずかしい、帰るぞ」と、 連れて帰られたことが強く心に残っている。

商船学校を卒業(9月が卒業)すると一旦帰宅して父親の手伝いをしながら過ごしていた。
4月から整体の学校に行けと父親に言われた道を選んだことと、父親との暮らしのストレスで一二指腸潰瘍(穿孔、膵臓癒着)になり、胃袋を摘出した。

4月から通った整体の学校では、1年生の時は全ての教科を百戦錬磨の熟練の先生方が教えていたのに、2年生に進級して学校に行ってみると、先生全員が、昨年卒業したばかりの先生に替わっていた。
その学校が学校法人として認められていない事業を行っていたこともあり、熟練の先生に教わりたいという活動をすることになったため学校と折り合いが悪かった。
卒業式では、卒業式を妨害するのではないかとの憶測が流れ、信三の周りを若手先生が包囲するような席次になっていたほどだった。
このときは、小さなバイクで車を縫いながら街を疾走するのが好きで、街中とは思えない角度に傾いたバイクでコーナーを通過することが快感だった。

整体の学校を卒業すると、鍼、灸、あん摩マッサージ指圧の国家資格を受験できる学校に進んだ。
父親の意向だったが、新宿から八丁堀の学校に自転車で通う3年間は嫌いじゃなかった。
同級生に甲子園投手がいたので、自分の投球下手が改善できないかと、投球を教わる日々を送ったが、結局出来るようにはならなかった。
それでも「生まれつきダメ」ということだけは受け入れられなかった。
おそらく小学校の時に宣告された「お前がいるからダメなんだ」という言葉と、父親からの「だからお前はダメなんだ」がかぶって「お前=ダメ」が受け入れられなかったのだ。
スポーツが出来ないのはDNAのせいではない。
その意地が生まれたのはこのときかもしれない。

卒業後、警備会社に入った。
三年半ほど警備員をやりながら、今度はスキーに熱中した。
警備員のころは、交通誘導警備から、建築現場の施設警備、違法駐車防止隊など、毎日違う現場に行く仕事をしていたが、それは、警備会社に在籍しながら、スキー教師として冬の3ヶ月間はスキー場に行くためだった。
信三が在籍したスキースクールが、苗場スキーアカデミーだ。
オリンピック4位の皆川健太郎選手を輩出したスクールで、日本で初めてワールドカップポイントを取った柏木正義氏が代表を務め、スキー技術選手権大会、不動のナンバーワン選手、柏木義之氏は正義氏の長男。
柏木正義氏は練習にも生活にも大変厳しいことで有名で、スクール生活は厳しいものだった。
信三はここで、スキーが下手なことを自覚しながらも、 「お前=ダメ」を払拭するために、 戸塚ヨットスクールで学んだ「比較して習得する」を繰り返して少しずつ腕を上げ、シーズン終盤には1級取得を目指す人への指導を任されるようになった。

警備会社やスキースクールに在籍ている間も、夜は整体で小遣い稼ぎをしていて、いつかはこの腕で開業をと思っていたので、スキーシーズンが終わると、開業資金を貯めるために東京都羽村市の自動車組み立てラインの塗装工として働いた。
塗装工場で途切れなく流れてくる自動車のボディにスプレーガンで塗料を吹きかける三ヶ月間が過ぎる頃、朝起きて鏡を見て愕然とした。
白目が膨らんで、黒目が陥没していたのだ。
塗料によるアレルギーと分かり、組み立てラインに転属を申し出たが、「比較して習得する」のが活かされたのだろう、組み立てに移動するのではなく、塗装の指導員として、塗料が直接かからない場所からの新人指導の仕事を与えられた。

その後半年働いて資金を得て東京小金井市にカラダ良くするハウス「シエスタ」をオープン。
苗場スキーアカデミーの校長が、シーズンオフはスポーツショップでスキーインソールを製作する第一人者だったこともあり、シエスタは、施術によってカラダのバランスをとってから、バランスの良い足形を採取してインソールを作るコンセプトで始めた。
神宮のスケート場に併設するフィットネスクラブの社長と父親が旧知の仲と知り、インソールの紹介に行くと、世界で活躍するフィギュアスケートの指導者を紹介され、フィギュアスケートのインソール作りと施術が始まった。


カラダマシン

小さい頃からガシャガシャと動くマシンが好きで、自宅にあったブリキのおもちゃを至近距離から眺めているのが好きだった。

そんな理由で商船学校では機関科に在籍した。
メインエンジン、発電機、冷凍機、ボイラー、付属機器、配管、部活のヨットも機械に見えた。
その後、整体の学校に行っても、鍼灸学校に行っても、解剖学や生理学の時間はカラダというマシンがどんな仕組みで動いているのかに興味があった。
骨をどのように並べた姿勢にすれば構造力学的に優れているのか、神経は電気系統、筋肉はエネルギーを仕事に変える部分、骨格というフレームを、筋肉がどのように動かしてスポーツしているのか、投球が上手い人はカラダマシンをどのように扱っているのか、スキーの達人はどんな動作感覚で動かしているのか。
カラダというマシンへの興味がどんどん深くなっていった。
骨の並べ方(フォーム)に問題がある人がインソールを作りに来たときは、構造力学的に優れた姿勢を教えて、それを実現するインソールを制作した。
また、その動作を身につけるためのトレーニングも提案した。
そのころインソールを作りに来たフィギュアスケートをしている中学生に、力が伝わるフォームと力の伝え方を教えたところ、 「動作を教えるところだけを仕事にしてもらえないか」と依頼され、 トレーナーとしての仕事を始めることになった。

同じ時期、スキーは趣味になっていたが、上達は壁にぶち当たっていた。
過去から学ぶと筋肉の作用の考え方は3種類しかなかった。
縮める、維持する、伸ばしていく。
または、緊張する、維持する、弛緩するだ。
通常スポーツでは、収縮により筋肉の長さを縮め、弛緩により筋肉は長くなることを使うと教わった。
「比較して習得する」ことが信三の上達を支えていたが、外見の姿勢を完璧にコピーして、教わった筋肉の使い方を組み込んだ思考モデルは理屈上は完璧のはずなのに、動きが遅れるうえに、固くぎこちない。

それを追求しようとするがあまり、とうとう、初心者コースでもエッジを引っかけて転倒する始末だ。
トレーナーとして始めた仕事もすぐに、スキーで自分が超えられない同じ壁に直面した。
生徒の伸びが、同じ理由で止まってしまったのだ。
思い返せば、鍼灸学校の投球練習でもこの壁が立ちふさがっていた。
教わったことを組み合わせただけでは上達に上限があったのだ。
もがきにもがいて、2003年ひとつの発見をした。
自分の部屋で縄跳びを跳ぶようにピョンピョンとしていたときに気がついた。
「あれ?オレ、足首、動かしてないじゃん」 鏡で見れば、足首は曲がったり伸びたりしているのだが、意識的には足首の角度を止めているだけなのだ。
根っからのマシン好きがムクムクと顔を覗かせて、次のアイデアがすぐに思いついた。
「ってことは、筋肉がバネ構造だから、バネレート(バネの反発係数)を下げれば、動作のテンポが遅くなるはず!」 やってみた。
「やっぱり!」
「じゃ、バネレートを上げれば、テンポが速くなる。間違いない。」
「ほーら、やっぱりそうだ」
マシン好きの脳内でスパスパと連想ゲームが始まった。
「投球は、姿勢を適切なバネレートで維持して揺り動かせば良いんだ!」
「それから、ギターは肩から、肘、手首と、末端に行くほどバネレートを弱くすれば、揺り動かしたときに手首が1番ストロークが大きくなるはず」
「え”?待てよ、これが、スポーツが上手いってことなのか?」
これが出来ればスポーツ万能で、これがなければ、それ以外の能力をいくらつけても上限が低くなる。わお!
バネ能力は、一番最初に身につけるべき能力じゃないか。
プライマリーモーション」と名付けて、みんなに伝えよう。
湧いて湧いて止まらない連想が信三を興奮させた。

プライマリーモーションの実験のためにスキーに行った。
コブ斜面を横切るとき、姿勢が沈んでしまわない最小限の力を維持すれば、オフロードバイクのサスペンションのように脚が勝手に曲げ伸ばしされて、コブを舐めていくように移動するはずだ。
「切れちゃうかな?」
「大丈夫かな?」
脚が曲がったときに引き伸ばされてしまう大腿四頭筋が切れそうで怖かったのだ。
スタートすると、コブに跳ね上げられない自分に気がついたが疑心暗鬼だった。
しかし撮影してもらったビデオをみて驚いた。
まさに、オフロードバイクのサスペンションのように、しなやかに長いストロークでコブを吸収しているのだ。
更にスピードを上げたり、コブの中で大きなターンを描いたりしてみたが、動きの破綻が全く無かった。
「ゴム筋肉・バネ動作」のプライマリーモーションは、その後、フィギュアスケート、ゴルフ、サッカー、ラグビー、陸上、野球などに応用指導していった。

自身が小学校の時に言われた「お前=ダメ」を担当した選手から払拭することと、戸塚ヨットスクールで学んだ「比較して習得する」、そして、自身の壁を超えさせてくれた「プライマリーモーション」を組み合わせることで、その後のレッスンやトレーニングの活動の幅を増やしていくことになった。
2008年のフィギュアスケートジュニア選手権大会で、トレーニングを担当していた、無良崇人、水津瑠美の2人がジュニアチャンピオンに輝いた時は、これで「ゴム筋肉・バネ動作」が身についていないのが原因で上達の壁に当たってしまっている全てのスポーツマンを救えるようになると思った。
この頃からメディアにも取り上げられ始める。
筋肉を高反発ゴムに変える(健康ジャーナル社)を出版。 ゴルフダイジェスト誌一年間連載スタート バネトレDVD(野球編:リアルスタイル)発売。
常識外れの+50Y宣言(ゴルフダイジェスト社)JAL国内、国際線にて放映 全日本弓道連盟の中央研修会での講演、 板橋区体育協会、海老名市体育協会で講演など、 広く多くの人に「ゴム筋肉・バネ動作」の普及をする機会が増えていく。
 


筋肉の潤い

実は信三には超えられない壁がもうひとつあった。
筋力アップと運動能力アップの壁だ。

絶対筋力を上げようとしたときに筋肉そのものをイメージしたトレーニングをしてしまうと、「筋肉に注目」が集まってしまって、全体の動作を損ねるのだ。
また、バネではなく、「筋肉の収縮を使ってしまう」と、動きが固く、ぎこちなくなってしまいがちになる。
信三は考え続けた。
答えが出るまで10年を要した。

2013年。
信三は筋力の悩みを解消するアイデアを着想した。
筋トレでパンプアップ(パンパンになった)した筋肉には何が溜まっているのかと疑問に感じたのだ。
筋肉はタンパク質。
でも、タンパク質という固体では、集まってきて直後にすぐ減ることは出来ない。
ということは、液体が溜まっているのがパンプアップで、筋肉は、液体が入ったり出たりする仕組を持っている!
パンプアップした液体は疲れた液体だけど、もし疲労していない液体を湛(たた)えられたら、栄養も酸素も豊富な液体で満たされて、そうすれば、筋出力が上がるのではないか。
早速、実験した。
驚くべき効果だった。
太ももの筋肉が3分後に35%の筋力アップを果たしたのだ。
自分で考えて自分で実験したのに、信じられるまで時間が必要なくらいだった。
その方法は貯血と命名されたが、後にフィルアップ、そして、現在はチャージと呼んでいる。
誰も信じないだろうが「トレーニングせずにパワーアップする夢のマシンが実在するのだ」
筋肉に潤いを与えて筋肉を活性化させる、マッスルモイスチャライザー「夢マシーンKENZOまん」が、この方法を行うための唯一のマシンだ。

2015年拠点を東京都小金井市に移して、KENZOまんでパワーを、バネトレで勢いを与えることでスイングスピードを上げる専門店ヤッテミガル!を始める。
ちなみに信三は、「なぜ小金井市なのか」の問いに「良いところでしょ」と答える。


想い

君はダメじゃない、比較して習得するんだ。
運動能力はプライマリーモーションが上げてくれて、パワーはKENZOまんが上げてくれるから。

今の自分がもし、昔の自分を教えることが出来たなら、昔の自分の悩みは消えて希望が溢れるだろう。
でも昔の自分に戻ることは出来ないし、昔の自分は今の自分を作るために生きたことで十分満足しているから、今は、昔の自分みたいに「壁を越えたいけど方法が分からない」みんなに、すんなりと解決する方法を教えるよ。


だって、それがボクが生きてきた意味だから。


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